休 日 Cool, but cozy〜next day
「――中佐、中佐……」
ゆさ、ゆさと肩を揺さぶられても、まぶたがピクリとも動くこともない。
この男と来たら、女学生のように低血圧で、寝起きが飛び切り悪い。
「中佐……起きてください」
「ん……」
やっと声が零れても、相変わらずまぶたは動かない。
そればかりか、枕を抱きしめてまた深くベッドに頭を潜らせようとする。
「中佐、いい加減起きてくださいっ……遅刻しますよっ」
リザはベッドカバーを引っぺがそうとしたが、ロイがその端を体に巻き付けているので
外れない。それでもギリギリと引っ張る。
「……君は非番だろう」
面倒くさそうに呟く男に、
「あなたは非番じゃありません。もう7時20分ですよ。遅刻ギリギリです!」
「少尉、私は出勤途中に不審人物に遭遇し、その後を追跡して……」
「そんなウソつけません」
いつまでバカなことを言って寝穢(いぎたな)くしているのかと、呆れたくなる。
やがて、しょうがないなぁと言うように、彼はノロノロと上半身を起こした。
「……何で君は、もう着替えているんだ?」
ぼーっとした顔で、既に身支度の整ったリザを、不思議そうに見る。
「早く家に帰って、色々やることがあるんです。たまの休日ですから。
洗濯とか掃除とか買い物とか……」
「よく起きられるな……あんなに激し――ぶっ!」
目にも止まらぬ早業でリザが枕を取ると、思いっきりロイの顔に叩き付けた。
「痛いじゃないか!」
「遅刻ギリギリだって言ってるじゃないですか!」
「別に君の責任だなんて誰にも言わないよ……」
また、ぼすっと叩き付けられる。
「――あー、仕事行きたくない」
「あと4分!」
やっと起き出して、顔を洗って髭を剃り、相変わらずヨロヨロと情けない足取りで
身支度を調えるロイに、タイムキーパーのように時計をにらみながらリザが檄を飛ばす。
「艶のないことだ……」
嘆かわしげに呟いても、鬼少尉には聞こえたものではない。
ロイは物ぐさゆえに、司令部に着いてから着替えるということをせずに、
自宅から軍服で出勤することも多かった。
「もう……まだハネてますよ」
寝癖の取れていない髪に、リザが濡らした櫛(くし)を通す。
「……何ですか?」
ふっと笑った彼の口元に、リザは眉をひそめた。
「君は私の世話焼きが好きだね、リザちゃん」
「なっ……」
にこっとした笑みに、絶句。少し頬を染めた彼女に、
「ねぇリザちゃん。私は今日、ひどく仕事をしたくないのだがね」
「……あなたのお立場にあるまじき怠慢ですよ」
「世話焼きついでに、今夜は手料理など作ってもらえたら……
俄然やる気が出るんだがなぁ」
「――あと1分です」
「どうかな?」
「……遅刻しますよ」
「大丈夫だよ。誰にも君のせいだなんて言わない」
「…………」
「悪くない条件だと思うがね」
制限時間一杯。沈黙は続いた。根負けしたのは、彼女の方。
「……分かりました」
「決まりだ」
「何故私が、自分の休日を中佐のために使わなければならないのですか!」
理不尽に耐えかねてリザが声を上げても、彼は笑うだけ。
「え? 君の意志じゃないか。ほら、出かけるよ」
我が侭で、身勝手で。だけど……仕方がない。
もう彼女の頭の中は、今夜は一体何を作ろうかということで一杯なのだから。
正直、リザはさほど料理が得意ではなかった。
悲惨な腕前というわけでもないが、人に出すとなると緊張せざるを得ない。
張り切って失敗するのはみっともないし、かといってあまりつまらないものも出したくない
というジレンマに、いつも悩まされる。
自分の家に帰って、掃除や洗濯をする間も、ずっと考えていた。
途中で何度も、何故自分の休日をこんな思索に費やさなければならないのかと
腹が立ったが……
――ちゃんと下ごしらえさえすれば大きな失敗はしないから、グラタンにしよう。
結局、午後、買い物に行った先でようやく決断する。
経験上、オーブン料理は安定した成功率を誇っている。
他に、鶏の香草焼き、トマトのスープなど。
白ワインも切らしているから買わないと……。
朝からあれやこれやで目が回りそうな慌ただしさ。
あっという間に休日は消費されてゆく。
まったく、何で私がこんな……と呟きながらも、熱心に食材を選ぶ自分に、
彼女は気付いていない。
こんな時間の一定しない勤務だし、相変わらず二人が共に時間を過ごす周期は
決まっていないしで、実際、家で一緒に食事をするなど、希(まれ)なことだった。
お陰で、大して豊富でないレパートリーが底を尽きるということも、まだ無いのだが……。
天気の良い日だったから、午前中に干した洗濯物は乾いてくれたけれど、
ついため込んでしまっているから、取り込んでたたみ終わるまで、1時間近くかかってしまう。
ああ、早く夕食の支度に取りかからなければ……と、時計をにらみながら、心がはやる。
洗濯物を総てたたんだ後で、バスルームのタオルを換えておくのを忘れたことを思い出し、
舌打ちする。折角空っぽになった洗濯かごに、えいっ、とバスタオルをたたき込んだ。
どのみち、干すスペースは無かったかもしれない、と自分で自分を慰める。
何一つ特別なことをしているわけではないのに、何故こんなにも余裕がないのだろう。
ロイの勤務が明けるまで、まだ4時間あるけれど、彼のことだ。どんな小ずるい手を使っても、
こんな日に残業することはあり得ないから、それは決定的なタイム・リミットを意味している。
「まず下ゆでの鍋をかけて、スープはさっさと作ってしまって……」
キッチンに食材を並べると、どういう順序でやるべきか、頭の中でシミュレーション。
勿論、失敗した時に起死回生を図る手順も込みで。
何の連絡も無いけれど、彼はちゃんと仕事をしているのだろうか。
連絡なぞ無いのが当たり前なのに、ふとリザはそんなことを思った。
あまりに今まで夢中になっていて、すっぽりと抜けていたが。
そんなことを心配しても、今更仕方のないことなのに――
野菜を刻みながら、リザは独り口元に苦笑を浮かべた。
気まぐれな人。我が侭な人。
子供みたいにお調子者で、オトナの狡さも抜け目ない。
彼(か)の人のせいで、折角の休日も慌ただしく、余暇らしきものは味わえぬままに
終わりそうだけれど、どうせ滅多にあることではない。
雨が降って洗濯も出来ない休日を送るより、ずっとマシだと思えば良い。
オーブンも十分暖まった。ここまできて失敗は無いだろう。
あとは、焦げないように火を通しさえすれば、バッチリ。
ゴールが見えると、急にリザは眠気に襲われた。
気が抜けたのだろう。何しろ、昨晩はあまり寝ていなかったし、
朝から、ひと息つく間もなく動き回っていたから――
食器を並べたダイニング・テーブルの開いている空間に、ちょっと顔を伏せると、
まるで羽根枕に埋めたように気持ちよく、まどろみが彼女を迎えた。
不意に鳴った呼び鈴の音に、リザはハッと目を開けた。
急速に五感が戻り、鼻腔を香ばしい香りが……
「――きゃーっ!!」
屋内からの悲鳴に驚いたのは来訪者だ。
「リザ、どうした!?」
どんどん、とドアを叩く声に、
「な、何でもありません、ちょっと待っててください!」
何て声を出してしまったのかと、リザは赤面しながらも、慌ててオーブンの中を覗いた。
そして、ホッとする。器からこぼれたチーズが焦げていただけだった。
ほんの僅かな間ながら、かなり深く眠ってしまったものだから、自分でも驚くくらいに
大げさな声を上げてしまった。
「す、すみません、お待たせしました」
慌ただしく鏡を覗いて、髪を軽く手で梳いてから、リザはドアを開けた。
「――一体どうしたんだ?」
憮然とした表情のロイが立っていた。一度帰宅して、着替えてきたらしい。
ざっくりとした薄手の蒼いセーターは、やや幼い顔立ちを際だたせていたが、
きっと彼はそれに気付いていない。
「いえ……ちょっと、つまずいてしまって」
仕事では決して抜け目のない彼女にしては不似合いな、誤魔化すような笑み。
「部屋の中で?」
「どうぞ、お入りください」
「手でも切ったのかと思ったよ」
「そんなことありません。それより、ちゃんとお仕事サボらなかったでしょうね!」
無用な詮索を打ち切るように、リザは彼を家の中に押し込んだ。
「当たり前じゃないか……」
何を言うんだと不満そうなロイだが、そのお陰で彼女の悲鳴についての詮索は打ち切られた。
そうして、リザ・ホークアイの綿密周到な計略によって準備されたディナーは、
破綻なく成就の宵を迎えた。
我が侭でお子ちゃまな上司も、満足した様子だった。
食後のお茶になると、不意にロイが、にこっと笑った。
「何ですか?」
彼は黙って席を立つと、リザの背後に回り、そっと、目の前に小さな、手のひらに載るほどの
プレゼントの包みを置いた。その瞬間、リザは心臓に刃を突き立てられたように、ドキッとした。
「今夜は有り難う……リザ。開けてもらえるかな」
重苦しい心臓の動悸。包装を解くと、やはりジュエルケースだった。
おそるおそる、彼を振り返ることなくベルベットのケースを開くと……
「あ……ピアス?」
リザは、重責から解放されたように、ホッと息をつき、そして微笑んだ。
紅い貴石の、ワンポイントピアス。
慎ましいながらも本物の輝きを持つ石は、気品有る存在感を醸し出していた。
「これくらいなら、職場にしていっても差し支え有るまい?」
「付けてみてもよろしいですか?」
後ろの彼を振り返ると、「もちろん」という応え。
リザは立ち上がり、壁に掛かっていた飾り鏡に向かい、ピアスを付け替えた。
付けてからも、ちょっと首をかしげたり、自分の顔をのぞき込んでいるリザを、
ロイがそっと後ろから抱いた。
「よく似合う。いつものプラチナやアンバーも悪くないが、君の面差しには、
このくらいの華があっても遜色はない」
耳元に口づけられると、くすぐったい。
「……有り難うございます」
リザは、自分が感じた奇妙な安堵を、可笑しく思った。
彼に、それが悟られていなければ良いのだけれど。
「――指輪は、銃を扱うのに邪魔だろうからね」
えっ……と彼女が振り返ると、軽く口づけられる。
「それに、印(しるし)は私にだけ分かれば良い」
きょとんとしている彼女に、にっこりと笑う。
「中佐……」
うつむきかけた顔を、リザがハッと気付いたように、上げる。
「何だね?」
優しいまなざしが、そっと彼女に応える。
「――これ、今日お買いになったんですか?」
「…………」
ロイの口角が、ひくっと動いた。
「……サボりましたね、仕事」
じーっと見つめる容赦ない鋭い視線には、さしものロイ・マスタングも、返す言葉がなかった。
2.6.2004.
一応、"Cool, but cozy"のラストなんだけど、トーンが違いすぎて繋がらない〜。
ので、番外編チックに。更に他愛もない蛇足後日アリ。興味有る方はコチラをポチッ。→♪
ちなみに、指輪を贈られるのって、嬉しいですか? 凄く重いことでもある気がする。
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